死の体験旅行が教えてくれた。死を意識したからこそ見える3つの事
今日は、祖父母が入院しているのでお見舞いに行ってきました。祖父は、もう9ヶ月ほど病院のベッドの上にいます。話すことも、起き上がることもできなくなり、行くたびに痩せていく姿を見ると、本当の意味で「生きる」ってどんなことだろうと考えさせられます。
ここは、医療問題や生死観もあり、簡単に解決する問題ではないと思うので割愛しますが、個人的には、20代の頃に生死をさまよう体験をしているので、本気で「死」を意識することは、限りある「生」に向き合うことができると感じています。
しかし、この平和な日本に暮らし、健康な状態のときには、「死」を意識するといってもなかなかリアルに感じられるものでもありません。
そんなあなたに、おすすめのワークショップをご紹介します。
ワークショップ「死の体験旅行」とは
その名も、「死の体験旅行」です。強烈なタイトルのワークショップですが、アメリカのホスピスで開発されたワークショップで、お坊さんが開催されていることに興味をもって1年ほど前に参加しました。今でも鮮明に思い出すほどインパクトのあるWSでした。
横浜のなごみ庵の庵主浦上哲也さんがファシリテーターとして語る物語に耳を傾け、自分が病にかかり、病気が進行し、やがていのちを終えていくストーリーを追体験するのです。
1つずつ手放していく
最初に、自分にとって大切な「物」「自然」「活動・行動」「人」をそれぞれ5つ書き出します。物語が進むにつれて、この中から一つずつ手放していくのです。
身体的に難しくなる活動、どれも大事だけれどこの中から手放すとしたら…と躊躇しながら捨てざるを得ないもの。一つ、またひとつと手放していきます。
「死」を意識して感じた大事な3つのこと
① 「今」という奇跡の時間を味わう
死に向かって生きている私たちには、時間は限りがあります。その
限られた時間なかで、本当は何をやりたいのか。誰と一緒に過ごしたいのか。
心では違和感を持ちながら、他人のために生きる人生に時間を使うほど無駄遣いをしている暇はありません。
いつか、と先延ばしにしていることがあったら、今やりましょう。
そして、今、この瞬間をもっともっと味わいましょう。
②死んだあとに残るものは、「得た」ものではなく「与えた」もの
私たちがこの肉体を離れるときに、自分のどんなに大事な宝物でさえも持っていくことはできません。ワークの中でも、一番早くに手放していったものは、物質的な物でした。
死んだ後に残るのは、そのあとに生きる人の中に残されたもの、つまり自分が誰かに「与えた」ものだけなのです。
共有した時間や想い出、言葉、信念、勇気。
学びや情報、価値あるものは、自分のところだけにとどめず、どんどん伝えていきましょう。
愛する人には愛してると、感謝しているときにはありがとうと表現しましょう。相手にちゃんと伝わるように。
③ 当たり前のことなど何一つない
朝がくると目覚めることも、意識せずとも心臓が動くことも、当たり前のこと何一つありません。当たり前だと思うと、そこに感謝は生まれません。
こうして生かされていることだけでもありがたいことなのだと、じわーっと感謝を感じると、今、起きていること、抱えている課題さえも感謝に変わりました。
「ありがとう」の反対は、「あたりまえ」。
日常にあること、近くに(一見)あたりまえのようにいる存在の人にこそ感謝しましょう。日常にこそ奇跡と幸せが転がっています。
いかがだったでしょうか。価値観は人それぞれなので、あなたが死に直面したときには、また違った大事なことを見つけ出すことでしょう。
私自身は、死に向かう恐怖、孤独のなかで、ただただ共にいてくれる人の存在がこんなにもあたたかいものだとは思いませんでした。何もしてもらわなくても、ただ共にいるだけで大きな安心感と勇気をもらいました。
この経験は、命をかけて生きるリーダーがどんな孤独なときも、どんな闇の中にいるときも、ひるまずに共にいるコーチとしての私の礎にもなっています。
最後に、私の大好きな言葉を一つ。
明日死ぬかのように生きなさい。永遠に生きるかのように学びなさい。
(マハトマ・ガンジー)
今日が最後の一日だとしたら、あなたはどんな一日を過ごしますか?
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