「信じられる」と人は伸びるけれど、「期待される」と人は潰れる
つい先日、「究極の愛は、期待しないこと」だとFBに書いたら、「期待することはいいことじゃないかなー?」と言われることがたくさんありました。
(ここでいう愛は、恋愛関係の愛だけでなく、家族愛、人間愛など幅広く指しています。)
誤解を生むことを恐れずに言うと、わたしは、教育の現場においても、チームのメンバーに対しても、実は、ほとんど相手に期待していません。こんなことを言うと、あまり愛のない人のようですね(笑)
ただ、期待はしないけれど、相手のことを「信じて」います。
人を「信じる」と「期待する」は、なんだか似ているけれど、まったく違います。
「信じる」と「期待する」の違い
そもそも「期待する」ことは、相手にこうなってほしい、こうしてほしい、と願っている状態です。その期待に応えてもらえると嬉しいけれど、応えてもらえないときにはがっかりします。
相手がどんなことを思うのか、どんな行動をするのか、自分ではコントロールすることなんてできるわけがありません。そんな予想不能なところに一喜一憂するなんて、自分の穏やかな時間がもったいないと思いませんか。
また、相手がどんな可能性をもっているのか、その人さえもまだ知らない無限の可能性があるのにも関わらず、「こうなってほしい」と決めつけるのは、本来、発揮しうるその人の可能性をも制限してしまうことになるのです。
それでは、「信じる」というのはどんな状態でしょうか?
それは、私が学んだコーアクティブ・コーチングにヒントがありました。
コーアクティブ・コーチングの特徴の一つは、根底に人に対する揺るぎない信頼があります。
人はもともと創造力と才知にあふれ、欠けることのない存在である
【People are naturally creative, resourceful and whole.】
相手がどんな状態のときでも、何かが欠けていて、常に外から答えを与えない限り自分ではどうしようもない無力な存在として見るのではなく、「誰しも生まれながらにしてすでに素晴らしい存在だ」と見るのです。
私がこの言葉を本当の意味で理解できるようになるまでに、とっても時間がかかりました。
自分自身のことに置き換えたときに、できていない、足りていないところがたくさんあると感じ、到底、自分のことを「もともと創造力と才知にあふれ、欠けることのない存在」と捉えることができなかったからです。
そのときに、教えてもらった大事なことがあります。
「欠けることのない存在は、resourceful and whole. で、perfect ではないんだよ」
人はperfect(完璧)ではないけれど、whole(完全)であるということ。
今、泣くことしかできない赤ちゃんだって、もうすでにwhole(完全)であるということ。
今、完璧でなくたっていいのです。
でこぼこなところさえも、その人しか出せないユニークさに変わり、ありのままの状態でwholeな存在なのです。
それからの私は、目の前の人の可能性を、そして自分自身をとことん信じることを大事にしています。
人は、「信じられる」と、勇気づけられます。自分の中から知恵や力が湧いてきます。
そして、自分も思っていなかった能力と可能性を発揮することができます。
人は、「期待される」と、期待に応えなきゃと、誰かの求める答えを探しにいきます。
そして、期待通りの人物像を演じたあげく、プレッシャーに押しつぶされてしまいます。
あなたも、今、目のまえにいる人に対して、「可能性を信じる」ことからはじめてみませんか?
◆参考元
CTI JAPAN HP
◆参考文献
コーチング・バイブル―本質的な変化を呼び起こすコミュニケーション / ヘンリー キムジーハウス (著), フィル サンダール (著), キャレン キムジーハウス (著)
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